冒険家 植村直己氏の著書「極北に駆ける」は映画「植村直己物語」よりも生の声が聞こえてくるようで面白かった。

2009年 6月 15日

冒険家 植村直己氏の著書「極北に駆ける」。映画「植村直己物語」などの、

冒険家としての偉大な功績ばかりをクローズアップする作品とは異なり、

生身の人間R35の男の話として、とても面白かったので紹介します。

 

彼は世界初の五大陸最高峰登頂者となったあと、

南極を犬ゾリで横断することを次の目標にします。

その第一歩として、犬ゾリをマスターするために、北極に近い、

グリーンランドのエスキモーの集落で共同生活を1年弱することになるのですが、

そのときの模様がかかれているのが本作。

 

-30度での生活、エスキモーとの異文化交流、犬ゾリでの3000km一人旅…。

「それで!それで!」

と、あっという間に読める本でしかも面白い!

 

この顔みても想像つくと思いますが、ホント、普通の人って感じがします。

以下のエピソードが有名ですが、これ知ると、友達になりたいです!

エベレスト登頂の際「カメラより山頂の石をみんなに見せた方がいい」と松浦輝夫を説得し、山頂の石を持ち帰るためにNHKから渡されていた最新型のビデオカメラを山頂に置いていった。その時考えた言い訳は「カメラからテープを抜こうとして、手が滑ってネパール側に落としてしまった」。その後、カメラは日本の第二次登頂隊によって発見され、無事に日本に戻ってきた。
犬ぞりによる北極点到達挑戦の際には、テレビ番組制作を担った毎日放送から8mmカメラを託され、冒険中に自分の犬ぞりが氷原の彼方に走り去る場面を撮影した。周囲には誰もいないことから、その後彼方から引き返しカメラとフィルムを回収、貴重な記録映像となった。当時の番組にはその「歩いて戻って来る植村直己」のユーモラスな様子も放送されている。

以前NHKで特集された植村直己。

以下、植村直己年表(wikipediaより抜粋・加筆)

1964年/

大学卒業後、就職試験に失敗、アルバイトで貯めた金を元手で横浜港から移民船「あるぜんちな丸」に乗り込み、アメリカ・ロサンゼルスへ。不法就労で捕まるも強制送還を免れヨーロッパへ。シャモニーでモンブラン単独登攀を目指すが失敗。モルジンヌのスキー場でオリンピック金メダリストに雇われ、ここで資金を稼ぎ登山活動の拠点に。

1965年/

明大のゴジュンバ・カン登頂隊に途中参加し登頂を果たす。ヒマラヤ遠征後、再びモルジンヌに戻るが、黄疸で一ヶ月の闘病生活。

1966年7月/

モンブラン単独登頂に成功。同年10月アフリカ最高峰キリマンジャロ単独登頂に成功。

1968年/

南米最高峰のアコンカグア単独登頂に成功。このあと、アマゾン川のいかだ下り6000kmの冒険を経て、北米最高峰のマッキンリー登頂を目指すが、単独登頂の許可が下りず断念。4年5ヶ月ぶりに帰国。

1969年/

日本山岳会のエベレスト登頂隊派遣に参加。自己負担金を用意できなかったため、荷揚げ、ルート工作要員としての参加であったが、抜群の体力等が認められ、第1次アタック隊に松浦輝夫と共に選ばれエベレスト南東稜から登頂に成功。しかしこの経験で、大量の隊員を荷物運びとして使い、ほんの一握りしか登頂できない極地法による高所登山に疑問をもつ。

1969年8月/

再びマッキンリーに挑戦、単独登頂を成功。この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者。

1971年/

山学同志会隊に加わり、冬季のグランド・ジョラス北壁に挑む。他の隊員は凍傷に罹り手足の指を失うことになったが、植村と高久幸雄は五体満足で完登。

1971年4月/

イギリスBBC主催のエベレスト国際隊へ参加。ネパール側南壁制覇を目指して再びエベレスト登頂を目論むが、インド人のハッシュ・バフグナ隊員の遭難以降、各国からの代表を寄せ集めた国際隊は互いの利害関係が徐々に表面化し、失敗。以後、植村は登山・冒険とも「単独」での行動へと傾倒する。この頃から植村は南極横断への夢を抱き始め、少しずつ実現のための準備を始める。

1971年8月/

南極横断距離3000kmを体感するため、同距離となる北海道から鹿児島までの国内縦断を徒歩51日間で実現。

1972年/

グリーンランド北部でのエスキモーとの共同生活。

1974年/

1年半かけての北極圏12000kmの犬ぞり探検成功。

1978年/

犬ぞりを操って、人類史上初の北極点単独行に成功。同年にはグリーンランド縦断も成功。

1979年/

イギリス王室から優れた冒険家に贈られるバラー・イン・スポーツ章受賞。ナショナル・ジオグラフィック誌の表紙を飾る。

1980年/

エベレストの厳冬期登頂を目指して植村を隊長とする日本隊が編成されるが、登攀隊員が事故で死去。悪天候にもみまわれ、登頂断念。

1982年/

アルゼンチン軍の協力のもと、南極点単独犬ぞリ探検を計画し、南極のアルゼンチン軍基地に待機し出発を待つが、フォークランド紛争勃発によりア軍が協力を撤回し断念。

1984年2月12日/

ある山の世界初の厳冬期単独登頂を果たす。43歳の誕生日だった。翌日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明。

1984年4月/国民栄誉賞受賞。

1984年6月/デンマーク政府により、グリーンランド縦断の際の到達点であった「ヌナタック峰」を、植村の功績を称え新たに「ヌナタック・ウエムラ峰」と呼称することが決定。



One Response to “冒険家 植村直己氏の著書「極北に駆ける」は映画「植村直己物語」よりも生の声が聞こえてくるようで面白かった。”

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